西陣織とRoots

2020年05月21日

絹織物は中国が起源とされていて、紀元前5000年から蚕(かいこ)を家畜化して、カイコ蛾が出すまゆからつむぎだした糸で布を織ることから始まったといわれている。

それらの絹織物は、技術を発展させながらシルクロードと呼ばれる交易の場で流通された。一般的にシルクロードは、中央アジアをその中心とし、ひろく西アジアから地中海沿岸にまで東西の交易ルートと言われる。

奈良の正倉院にはシルクロードを通り海を渡ってきた、中国製やペルシア製の宝物がたくさんある。中央アジアを中心にみたてたとき、日本は東の果てに位置するため、シルクロードの終着点と呼ばれることもあるようだ。

天平時代の宝物を中心とする正倉院の宝物には、唐やペルシア文化が溶け合った美しい織物があり、日本に現存する最古の織物として納められている。西陣織はその美しくて技術の高い織物を正倉院裂(きれ)として取り込み発展させてきた。

西陣織の技術や紋や文様のルーツはまさに、正倉院を遡り、はるか唐やペルシアの文化を内包しているといえる。


また一方で絹織物を製織する技術のルーツは、西陣織が「西陣織」とよばれ始めるよりずっと前の5世紀半(西暦400年代)なかばころ、朝鮮半島の新羅から秦氏とよばれる一族が中国大陸より渡ってきたと伝承されている。

その秦氏が、現在の京都市の西側に広く位置する嵯峨野一帯を開墾して、養蚕や織機の技術をもたらしたことが、現在の京都の絹織物の直接的なRootsだ。

美しい造形と、高い技術にふれた当時の人々に憧れや感動を与えた数々の織物たち。西陣織が脈々と今の時代へと受け継がれてきたのは、このような感動の連鎖があって、それこそが西陣織の精髄を通るルーツ・道筋だったのかもしれない。



( 秦氏についてくわしくは、京都市歴史資料館、フィールドミュージアム京都をご覧ください。どのような功績を残してこられたかわかりやすく解説されています。)